山本亜以子 BLOG

2020.03.26

IAMは意識を変え、生き方を変える~公務員を辞めてまでIAMに余生を投じる謎【前編】~


2020年3月末日現在、約12年間務めた組織を退職し丸2年を迎えることとなります。

初めまして。

都内(神楽坂)、また千葉県を中心にIAM普及活動を行っている山本と申します。

IAMを知ってしまったことで、人生が激変した方々は数知れず。私もその一人であります。

以下、公務員務めから職業までIAMに転身してしまった人間のお話しです。

 

おことわり

私はIAMへの興味等のため組織を途中下車した者であり、職場には何ら問題はございませんのでその旨誤解のないようにお願い申し上げます(他の職業同様、光も闇も当然ございます)。

 

ヒマがつぶせるか分かりませんが

 

・・・

簡単に自己紹介です。

1980年12月、鹿児島県生まれ。

米・ウェストバージニア大学卒(BS:理学士)。千葉県・茨城県で幼少期を過ごし、約5年間渡米(専攻生物)。その後千葉県警察官を拝命し、約12年間の在職中の大半を公安部門に所属。在職中、CIAやKGBなど、世界の名だたる諜報機関が長年積極的に人間の潜在能力開発研究をしてきたこと、そしてその要がInterbrain(間脳)、特に「松果体」にあることに着目。一方で、IAM®との出会いから、同部位が自然治癒力の要でもあることを偶然知ることとなり、その開発者・駒川耕司氏に師事。

 

IAM/ライオンあくびを「広めたい」から「広めねば」へと確信を強め、以後、これの普及に務めるべく2018年に組織を退職・開業。同じ頃、離婚までしたバツイチです。

 

米国留学中、誇りを持てる母国(日本)のあることが実は幸福なことであることに初めて気が付き、帰国し公職を希望しました。

 

当時の私が生きていたモードは、人は社会的使命最優先で生きるべし、という概念でした。つまり、愚かで特段の才能や情熱も特にない自分を早急に捨て去り、人や社会の価値観を大切に生きた方がよほど世のためだと考えていたのです。この理論は、一見自己犠牲的で耳障りのよい、きちんとした信念と当時は思えました。ただそこには、致命的な欠陥がありました。自分自身の不在です。その頃の私は、自分の趣味嗜好や価値観、感覚などは本当にどうでもよく、ただただ面倒なものに他ならなかったのです。それが大きな過ちとして、後に大きな波となって身に振り掛かかって来ることになるとは露ほどにも思わずに。

 

組織での仕事は、もちろん段階によって波も相当にありましたが、控え目に言ってもかなり無理をして一生懸命やりました。24時間どころか、必要に迫られれば何日間でも不眠不休で活動するのが警察です。

 

しかし拝命して10年も経つ頃、私はいくらやっても、またどんなに大きな仕事、刺激的な仕事を経験しても、どうしても自分自身が満足感を得られないことに疑問を感じはじめていました。

 

求められていることをやり、きちんと評価されているのになぜ虚しいのか。その理由に、自分不在の当時の愚かな私は、全く気が付いておりませんでした。

 

ある時、現場から所属部署へ戻る車を運転していた時でした。精神的に非常に疲れていた私は、「もう(あの世に)帰りたい」と心の中で呟きました。すると次の瞬間、私の前に白色の車両が割り込んできました。そして、その車のリアガラスに何やら文字盤かステッカーのようなものが張り付いており、そこにはこう書かれていました「Too early to die」。

 

~死ぬには早すぎる。ぞっとしました。私の声を誰かが聞いていると感じました。その誰かとは、他ならぬ私の本質だったのでしょう。いわゆるスピ的に言えば、私のハイアーセルフが3次元の私に必死にコンタクトを取ろうと試みているようでした。

 

私は元来、根本的な問題解決法に非常に興味がありました。ここで言う問題解決とは、人が犯罪者にならない方法であり、また人が病気にならない方法、人が絶対的に安心と幸福感を感じるための方法です。そのため、在職中から様々な代替療法や各種メソッド、スピリチュアル系のワークショップなどの開拓や習熟に余念がなく、毎年のボーナスや休暇をつぎ込んでいたのです。

 

そのような経緯で、しかしむしろ偶然IAMに出会いました。月1回程度、約半年間、施術者の元へ通いました。当時の鈍い自分は気が付きませんでしたが、間違いなく意識の変化が水面下で進行していったことは間違いありません。

 

その証拠に、自分に嘘をつきながら生きることが非常に困難になってゆきました。私はかなりの建前主義者でしたが、それがベルリンの壁のごとく崩壊してゆきました。

後編へつづく

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