高橋寿一 BLOG

2023.05.09

一流・天才の観方

 

名古屋からこんにちは~

IAM名古屋カラダことぶきの高橋寿一です。

 

 

「いまなぜ青山二郎なのか」(白洲正子)の中にIAMと通ずる所があったのでご紹介いたします。


『青山さんの骨董を見る眼は、見るというよりの字を当てるべきだろう。』


IAMでも感じるではなく「観じる」です。


『もちろん知識はあるに越したことはないが、ものを観る時は忘れなくてはならない。
ジィちゃんのいう「感じ」なんてものはとうの昔に私は卒業していたが、「感じ」から物が「見える」ところへ移るまでに、例えば此岸から彼岸へ渡るほどの飛躍が要る』


これって私がIAMで苦労したことと全く同じ。

 

白洲正子さんじゃなけど
私も整体を20年以上やっているので「感じる」ことは卒業していたと思います。

 

だけど「感じる」から
カラダが「観える」になるには、
白洲正子さんのようにあの世とこの世ぐらい違いがあった。

 

だって「感じる」の先に「観える」がないので、
私の感覚だと一度「感じる」を手放すことが必要でした。

僕は整体に行き詰っていたから感じるを手放す事に躊躇はなかったけど、
普通はすごく怖い事なんだと思う。

だって
今まで「感じる」感覚を軸に生きていたのを手放すんだから。

 

だからなのか
IAMは施術家になかなか受け入れられないのかもしれない。


そして白洲正子さんも
「観える」を今までの延長線上で考えてしまって苦労されたのではないかな。


いずれにしろ
駒川先生や青山二郎さんのように
一流・天才と言われる人はやはり共通した観方があるようです。

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